この空の花 - 「長岡映画」製作委員会 この空の花

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思い出編(1) 2011年11月号掲載

夢追い人たちが長岡に刻んだ一コマの余韻

■三尺玉大河の動悸おさまらず

 パッと咲いて、パッと散る。花火にもそれぞれの咲き方や散り方があるように、私たちにもそれぞれの人生や思いがある。毎年、私たちは信濃川河畔に集い、復興を願い、平和を祈り、花火を打ち上げる。還らぬ人に思いを馳せ、この空の花にそっと手を合わせる人もいる。そのはかない美しさに、遠い日の懐かしい記憶をたどる人もいる。大切な人と一緒に眺めるこの空の花を、いつまでも心に焼き付けておきたい。長岡花火はそれぞれの思いをのせて打上げる、特別な花火である。

長岡市長 長岡まつり
森長岡市長と大林監督 大民謡流し~大手通り~
■50日間の長期ロケ終了

 この長岡花火に秘められた思いを描く古里映画「この空の花~長岡花火物語」は、8月1日長岡まつり前夜祭ロケを皮切りとして、9月16日未明、長岡での撮影を無事終えた。同日、ロケ隊は広島、長崎に移動し、19日夕刻、熊本県天草でオールクランクアップを迎えた。大林宣彦監督率いる大林組スタッフ60余名は、新潟・長岡の魅力を存分に撮りつくし、山のような思い出を残し、嵐のように去っていった。ロケ地は、長岡市内、近郊を含め約70箇所。長岡市民によるボランティアスタッフ、エキストラの総動員数は約1400名。全国の大林ファンも長岡を訪問、この映画の成功を願い、慣れた動きでスタッフをサポートする姿もみられた。

クランクアップ~左近倉庫~ おつかれさまでした!
■核の惨禍に襲われた年

 振り返れば、2011年は、私たちにとって忘れられない年となった。
3月11日、国内観測史上最大となるマグニチュード9.0を記録した東日本大震災が発生し、多くの被災地では今なお、鎮魂の日々を過ごされている…。さらにこの耐えがたき地震と津波は、福島第一原子力発電所の事故を引き起こし、1945年の広島・長崎原爆投下、1954年の第五福竜丸事件と同じく、「核の惨禍に襲われた年」として、私たちの心に深く刻み込まれた。。


津波により駅舎が全壊した新地駅(福島県相馬郡)
■映画は暗闇に咲く花

 今夏、7月26日から7月30日にかけて発生した新潟・福島豪雨で、信濃川河川敷の花火会場が冠水し、長岡大花火大会の開催が危ぶまれた。花火会場内では、流された仮設トイレの再設置や堆積したヘドロの排除、消毒のための石灰の散布等が急がれた。長岡市職員や設営業者の不眠不休の作業で会場はみごとに再整備され、開催決定の運びとなった。

 この突発的な災害に迅速に対応し、復興祈願花火を打ち上げようとする一連の取組みに、大林監督はあらためて長岡市民の不撓不屈の心を感じ取られたようだ。監督の台本に、3.11から最新の出来事まで、次々と新たなシーンが追加された。
忘れ得ぬ2011年に撮られたこの映画には、戦争の愚かさ、復興への勇気と希望、命と平和の尊さ、人と人の絆の大切さ等…、さまざまな思いや願いが刻み込められているにちがいない。

 監督は「映画は暗闇に咲く花」だとおっしゃる。まるでこの空に咲く花火のようだと。目を閉じた闇の心の中に、願いの灯が永遠に余韻する。それが映画の力、美しさだと。
来春、私たちはこの映画を観終えた暗闇の中で、何を思い、何を願うのだろうか。完成が待ち遠しい。

河川敷1 河川敷2
泥まみれ
左岸の観覧席の様子 客席の一部はレイアウト変更も

思い出編(2)へ続く…