この空の花 - 「長岡映画」製作委員会 この空の花

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新春トップインタビュー 2011年新年号掲載
ふるさとの映画を作ろう

 銀幕の上に映し出されるのは、虚構だ。けれど、時に、その虚構が何よりも真実の心を映し出す。たとえ時局に流されたとしても、本当は、世界中と仲良く暮らしたかった古里・長岡の人たちの真実を映し出す。いよいよ来夏、映画「長岡花火物語」の撮影に臨む映画作家・大林宣彦監督にお話をうかがった。

■花火という映像の美しさの奥にある心

 - 長岡花火を映画にされようと思われたきっかけは?また「この空の花(長岡花火物語)」は、どんな映画になるのでしょうか?

シナリオハンティング
シナリオハンティング中の監督と奥様
 僕は映画監督ではなくて「映画作家」と名乗っています。撮影所には属さず、画家や小説家のように個人で映画を作ってきましたからね。妻がプロデューサーです。私は、全国の古里を訪ねて、古里の物語を映画にしています。戦後60年もたつと、日本は東京という大都会への一極集中が凄まじく、そのために、地方の中にある文化、日本古来の暮らしの中の「知恵」であった「光・賢さ・明るさ・元気・勇気」というものがどんどん失われてきました。私は、それを探し出して映画を作りたい。それで古里を訪ねて日本全国をまわっていました。

 そして、去年この長岡という古里と出会いました。きっかけは、この花火です。でも、ただ花火が綺麗で美しいだけでは映画になりません。その花火に込められた人々の願いや夢、つまり心の物語が必要です。カメラというものは人の顔や服を映すことはできますが、心は映せません。けれど、映画をご覧になっている方たちは、登場人物の心情だけでなく風景にまで心が見えて、それに感動なさる訳です。だから映像的にとても美しい花火だけでなく、その映像の美しさの奥にある、その花火を打ち上げる人達の心・願い・夢・縁といったものを描き出さなくては映画になりません。戦争や災害という、悲しみを体験された方々が、それを乗り越えて本当の平和を築き上げていく。穏やかな日々をつくっていく。何のために、誰のためにといえば、子供たちのために。なぜならば、子供たちは僕たちがいなくなった後も生きる未来人ですから。子供たちにそういう勇気や平和への願いを伝えていって、子供たちがそれを実現してくれる未来には、この世から憎しみや、いさかいや戦争が無くなる、そういう日々がきっと生まれるだろう。それを、この映画という文化芸術の力を借りて、長岡から世界に向けて発信していこうと思いました。

■知恵こそが平和を生んでいく

左近の焼夷弾
木箱に入った“焼夷弾”に恐る恐る近寄る
 この長岡という里のパワーはすばらしい。皆さんは我が古里のことだから、お気付きにならないかもしれませんが。日本のこれから、世界のこれからへの期待が詰まっています。私たちは未だに戦争がやめられません。実際に殺し合うような戦争ではなくても、物やお金を求めて、経済戦争とか宗教戦争とか、なぜか人々は争い、自分とは違う他者を認めようとはしない。でもここ長岡の里では違います。お互いが話し合う「賢さ」があります。「考え方が違うなら話し合おう。話し合えばお互いが傷付くこともあるけれども、話すことで理解し合えば許しあう事も出来る。」と。傷付き合って、許しあって、そして愛を覚える。これが映画というものが昔から伝えてきた物語なのです。親子でも兄弟でも親友でも会って話し合えば、音楽の好みや食べ物の好みや、皆な、違うから喧嘩になる。けれども、なぜ違うのかと言う事を語り合うと、お互いの事が良く判るし、自分が今まで嫌いだった、認めなかった事も、その人の説明をきくと大好きになるかもしれませんね。いさかいや戦争が終わらないこの世界の中で、話し合い、わかりあおうとする知恵こそが平和を生んでいきます。戦争という一番嫌なもの、あるいは災害という一番悲しいものを体験なさった長岡の方たちだからこそ、優しさ、つまり平和を創っていく力があると思うのです。

■未来人である子供たちに想いを伝え、平和への願いを託す

監督命名アミーゴこと星貴さん
焼夷弾の不発弾を説明する星貴さん
 これは長岡というローカルな映画ですが、テーマは普遍的で世界に向けて発信するべきテーマです。そして、そういうふうに我々がこの映画を作ろうとしている時に、長岡市は真珠湾ハワイのパールハーバーでも追悼花火を上げる計画があるようです。さらにワシントンの桜まつりにでも日本の花火を上げると聞きました。真珠湾の花火もこれが実現すれば、まさに「リメンバー・パールハーバー」というアメリカ人の戦争に対する想いと、たとえば「ノーモア・ヒロシマ」というような、日本人の原爆に対する想いが、ようやくそこで一つになって、共に積極的に平和を創っていく力に繋がっていくのではないでしょうか。これは歴史的な事件に、平和を生むための非常に素晴らしい季節になってくると思うのです。

 そういう時期だけに、この映画は世界に向けて日本が、そして長岡が発信する映画として、胸を張って子供たちに「お父さんたち、お母さんたち、おじいちゃんたち、おばあちゃんたちが、こういうことやったから、この想いを引き継いで、君たちが大人になった頃には、きっと戦争の無い世界を作ってよね」という想いを未来人である子供たちに託したいですね。

■ここが私の平和を生み出す古里

 普通、映画というと、今日ヒットしても明日は忘れるという、そういう一過性のビジネスであることが多いのです。けれど、古里から発信するこの映画は、過ちの多かった過去を伝えることで、平和な穏やかな、礎を未来人が作ってくれる事に役立つ、そういう温故知新の物語を伝える事が出来るだろうと思います。私は72歳ですが、戦争というものを実際に体験した最後の世代です。子供でしたが、しっかり戦争を体験していますので、私たちが生きている間にしっかりと伝えていく、私の人生の最後の遺言のような、願いの映画にしようという情熱が沸き上がってきています。それが長岡の人達の想いと一体化していることが、とても嬉しいですね。今日も、この里に「ただいま」と言って帰らせて頂きました。ここが私の平和を生み出す古里と考えて、古里の映画を作ろうと思っております。

■言葉との出会いが映画を作る一番の動機

嘉瀬花火師宅を訪問
監督を迎える嘉瀬誠次さん
 私の場合、映画を作る時は映像が先ではなくて、言葉です。人の夢や願いは言葉に託されますから。この映画も、花火師・嘉瀬誠次さんの、「世界中のすべての爆弾を花火に替えたい。二度と爆弾が落ちてこない平和な世の中であって欲しい」という言葉が始まりです。言葉と出会う事が映画を作る一番の動機です。次に、その言葉に似合う物語はどういう物語か、さらに、その物語を伝えるには、どういう風景がいいかという順番で作ります。風景は、一番最後に決めるんですよ。だから今はまだ、頭の中は映像としては真っ白です。ただ、映像の背後にある言葉だけが充満しています。

 これがビジネスライフの映画だったら、誰と誰を使って、どこで撮ってどうこうすれば、どれくらい儲かるぞと考えて映画を作る訳です。これは、そういう映画ではありません。今はただ、子供たちのいる風景、子供たちが願う、見たい風景、それはどんなものかなと、思っています。これからは子供たちと、つまり未来人たちと、いろいろお話をして、私が歩いて「ここで撮るといい景色撮れるぞ!」なんて言うよりも、町で会った小っちゃな未来人に「ねえ、君が一番好きな所に、おじいちゃんを連れて行ってよ」と、頼もうと思っています。その子供が、「私、ここが大好きよ」という所はどんな所でしょう。それが見たい、知りたい。そこからがスタートですね。だから、いわゆる、観光スポットになる風景よりも、子供たちを含めて、長岡の里の方たちが、「私、なんだかここが好きなんだよね、ここが安心なのよね」「ここの風景は二度と見たくない、ここで私は子供を失ったから。でもこの風景忘れられない、忘れるわけにはいきません」という場所を訪ねていきたい。そしてその風景や言葉と出逢った後で、それらを物語に託すならば、この俳優さんがいいだろう、こういう音楽がいいだろうと進めていきます。いろんな仲間たちに参加をしてもらってね。

本物の花火倉庫
嘉瀬煙火工業の花火倉(左から嘉瀬晃氏、監督、長谷川氏)
■心が揺り動かされると、奇跡が生まれる

 これは、そんなに大掛かりな映画ではありません。実は、映画の世界で生きている人達は、仕事としては、この仕事を選んだ意味をいつも問い直しています。自分の子供たちに「お父さん、いい仕事しただろう」と言う事を伝えたいですからね。でもそういうチャンスと場所がなかなか無いという意味で、寂しい思いをしている立派な俳優さんやアーティストたちもたくさんいらっしゃいます。そういう人達の心の映画を撮ろうと思っています。

 今はまだ発表出来ない事が多いのですが、きっとこの映画の撮影が始まって出来上がったころには、「エッ!あんな人が。エッ!こんなことが」ってね(笑)楽しみにしててくださいね。人々の心が揺り動かされると、奇跡が生まれるのです。言っている事は堅い話ですが、映画というものはやっぱりおもてなしの娯楽であって、泣いたり笑ったりしながら、良い夢を見る、そしてよい夢を信じる事が出来るというのが、映画の世界です。その為には、途方も無いパワーが必要です。私一人ではとても叶わないパワーです。でもこの長岡の里に「ただいま」と言って戻ってくると、そんなパワーにたくさん出会えて、たくさんパワーが貰えます。だから私自身も元気が出てくる、その元気を私たちの仲間に伝えて、「長岡においでよ」できれば「帰っておいでよ、初めてでも帰ってくる感じになるよ。そして、そこで君の夢を果たそうよ」ということでね。

山下清
山下清画伯の作品「長岡の花火」に見入る
■心のスクリーンに映ったときに映画になる

 私たちは映画の世界の仲間をここに招集しようと思っています。それが、長岡の仲間と手を組んで、未来の子供たちに素敵な世界を作ってもらう為の、私たちに出来る、やっかいな大人たちに出来る、そして、やらねばならない誇り高い仕事だと思っていますからね。今は、抽象的な話で申し訳ないのですが、具体的な場所であるとか、映像であるとかは一番最後に、きっと一番いい形で実現します。

 映画とは、辻褄の合った夢です。論理的に考えても出来ない、バラバラの夢のようですが、映画が出来上がると、その夢が全部、縁(えにし)で結びついて、すうっと辻褄があって、辻褄が合ったところで「あっ!平和への祈り、願いとはこういうことか、こういう事だったんだな」とね、お客さんと一緒に見えてきます。

 僕たちは演説をするのではなく、僕たちが作った映画は、まだ映画ではありません。それがスクリーンに上映されても、これも単なる影です。でもそのスクリーンに上映された映画が、お客さんの心のスクリーンに映ったときに映画になるんです。お客さんが、「あー、いい風景だ。この風景大好き」と仰ってくだされば、いい風景なんです。私が「いい風景でしょ、どうですか」と言っても、それは駄目なんです。映画とは対話です。だから仲間たちと対話をして、未来人である子供たちと対話して、最後はお客さんたちと、できれば全国の、全世界のお客さんたちと対話したいなと思っております。

 - この映画を応援して下さる皆さんに、一言お願いします。

サイン
お店の壁面にサイン中の監督と長谷川氏
 この映画は長岡という里が持っている歴史と、その歴史の中で生きている皆さんの心の大切な、大切な願いを物語にして世界に向けて発信する、古里自慢の映画です。文化とは、古里自慢ですからね。私たちは、仲間の一人として、皆さんと一緒に、この映画を作ることに映画人として全力をあげますので、皆さんにご協力、お手伝いを願うという事ではなくて、皆さんが発信される映画を、私たちが仲間として一緒に作らせていただくことが、私たち映画人としての、最大の誇りであり喜びであるということだと思いますので、是非宜しくお願いいたします。

 - 不幸な戦争を知る最後の世代として、未来人へのメッセージを残そうとする大林監督。長岡を舞台として、きっとタイムマシンのように時代を超える映画を残してくださることでしょう。