この空の花 - 「長岡映画」製作委員会 この空の花

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映画化の道程(1) 2010年11月号掲載
大林監督に長岡花火の映画を撮っていただきたい

■「長岡映画」製作委員会発足


「長岡映画」製作委員会発足記者発表会
 10月12日午後3時グランドホテル末広の間において、大林宣彦監督、森長岡市長、渡辺千雅製作委員会代表の出席で「長岡映画」製作委員会発足記者発表会が開かれた。
「ここに至った経過と市の応援体制」を森市長が、「製作委員会の概要、今後のスケジュール」を渡辺代表が、その後、大林監督から「映画製作に賛同した理由と製作への意気込み」について話された。監督が「こんなに早くここまで来るとは」としみじみ話されているのを聞きながら、今に至る経過を思い起こしていた。
 以前から「嘉瀬花火師と花火を題材にした映画をつくりたい」とほのかな気持ちを暖めていたところに、昨年(H21)の長岡花火を大林宣彦監督がご覧になり涙されたことを聞き、何かの導きに思えた。「大林監督に長岡花火の映画をつくって頂きたい」と思ったが、監督は遥か雲の上の人、我らの想いを届ける手立ても無い。そんな時、まるで天が我らを後押しするかのように、良きご縁と運が次々と舞い込んできた。


旭日小綬賞の受賞パーティー

 昨秋、大林監督が旭日小綬章を受章されて、今春の受章記念パーティに招待して下さるというのだ。偶然と幸運に感謝しながら受賞パーティに出席。会場のステージ上の垂れ幕を見たら、なんと『大林さん、次の映画はまあだ会』。何か運命的なものを感じながら、映画界の著名な方々に圧倒されながらも監督にお祝いを申し上げて「監督、長岡花火の映画をつくって下さい」の直訴をする無謀さ。さらに、その10日後には監督の事務所を訪れ「長岡の想い」を熱く伝える速攻となった次第。

大林監督の事務所を訪問
 後で知ったが、「脚本と資金」を用意して監督にお願いするのが映画界の常識。一連の「長岡の熱き想い」だけの行動は、誠に無礼千万だったに違いない。しかし、監督はいつも温厚に懐広く我らの想い、行動を受止めて下さったのだ。
 無謀な直訴から7ヵ月。こうして記者会見の日を迎えられたのは監督はじめ関係者各位のご尽力の賜。さあ、これからがスタートです。平和への願いを込めて映画「この空の花」を新潟から世界に向けて発信していきましょう。皆様の多大なるご支援、ご協力をどうぞよろしくお願いします。

 最後に監督の言葉を伝えたい。「長岡にロケに来たと思わないでください。長岡の人達が映画をつくる。その映画に私たちプロが参加して一緒につくりあげるのです」「映画製作は台風が来るようなもの。迷惑をかけると思うが、台風が去った後、さらに町が美しくなる。エキストラはもちろん、戦争体験や写真映像など、情報を寄せて頂ければシナリオに生かしたい。皆さんが自分たちでつくるという気持ちで映画に参加してくだされば嬉しい」と。

(昼行灯)

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