この空の花 - 「長岡映画」製作委員会 この空の花

マイ・スキップ掲載記事

映画化の道程(7) 2011年5月号掲載

シナリオの最後の仕上げを長岡で

■事務所スタッフとも合流、徹夜のシナリオ打ち込みへ

 4月3日午後、大林監督は「この空の花」長岡花火物語シナリオの最後の仕上げをするために、恭子夫人(プロデューサー)同伴で長岡にお帰りになった。長岡駅に降り立ち満面の笑みで「ただいま」。早速ジョーク連発で今回も絶好調だ。お茶時間、宮本村付近の某だんご店へ。話題豊富な社長のおもてなしと美味しい紅茶にご満悦のご様子。帰り際にお店のピアノで監督の即興演奏。居合わせたお客はビックリ。身も心も温まったところで蓬平温泉に向かう。宿は昨年監督が山古志をロケハンした際に立ち寄られたところ。今夜から一週間お世話になります。

お店のピアノで即興演奏 今日もジョーク連発で絶好調

 翌4日、いよいよ、シナリオ執筆に全力投球だ。この日の昼食は下駄履き姿で宮内のラーメン店へ。監督は筆が止まると部屋の外風呂に入るという。するとまた筆が進むそうだ。食後すぐ、執筆に専念。恭子プロデューサーは、急遽召集した美術監督を迎えに長岡駅へ。帰りに長生橋に向かうと夕日が橋に反射して黄金色の長生橋。凄い、一同唖然。早速宿に帰って監督に報告。


某宿にて執筆中の監督

 翌5日、監督は執筆に専念中。プロデューサーと美術監督はロケハンに出発。山古志の写真家宅で四季の山古志風景に感激。次に中山隧道。家が埋没した現場では暫し無言。闘牛の牛舎を覘き、闘牛のボリュームに思わず「バッハローだー!」。種苧原を通って栃尾入り。表町の雁木どおりを暫し探索。昼食後、夕日を求めて出雲崎へ。妻入りの家並みが連なる北国街道の街並みに、新たな発見をされたようだ。海岸沿いに出ると日本海はなぎ。空には夕日が燦然と輝き海には夕日に向う黄金の光道がクッキリ。夕日の沈む瞬間は緑の光線が走るとプロデューサーが言う。伝説を確かめるために寺泊の海岸へ向かった。さて、結果は?


夕日の沈む瞬間は緑の光線が走る、とプロデューサー

 翌6日は美術監督のロケハン。柿の柿川沿いの探索を皮切りに、今までのロケハン箇所を全て網羅すべくハードなロケハンを決行。この日、監督の事務所スタッフ(娘さん夫妻)が合流し、徹夜のシナリオ打ち込み作業となった。

 翌7日は監督の希望で残雪の山古志実景を撮影することとなりアミーゴカメラマンを急遽招集。大林監督の指示で埋もれた家を橋の上から撮影。実質的なクランクインだ。その後は茅葺の家を求めで刈羽村と高柳町へ向かった。

アミーゴ・カメラマン 森市長と固い握手

 翌8日は市役所でフェニックス花火のスタッフと懇談し「初心に戻って自分達の目的を見つめ直し、自分の信じることをやりましょう」と助言。その後、長岡市に避難された南相馬市の方々に、「義援金と大林書籍と大林映画のDVD」を贈るため、多くの報道陣の待つ会場へ移動。森市長と固い握手。その後、カーネーションプラザで開催中の大林映画ポスター展に立ち寄り、その後はまた、シナリオの最終校正に専念された。

 翌9日は上京の日、昼前に宿を立たれて車中で「この環境だから仕上げられたんだよね。温泉も良かったよ」のお言葉。長岡駅でスタッフのピースサインに見送られ「また一週間後に脚本を持って帰るよー」と言い残されて新幹線の車中へ。監督御一行様お疲れ様でした。

(昼行灯)