この空の花 - 「長岡映画」製作委員会 この空の花

大林宣彦氏からの手紙

 2009年夏、縁有って僕は長岡の花火を見学しました。折からの群青色の不思議な明るい空に純白の雲が浮び、この空に巨大な花火が咲く。名立たるイヴェント花火かと思っていたが、然にのみ非ず。ここには何だか深い物語が秘められた、人の思いの気配を感じて、僕は思わず、温く、涙した。そしてこの花火は「戦禍を忘れぬ」追悼の花火であると知った。人集めのイヴェントならば土・日に開催されるべき大会を毎年同じ日に行う誠実さに、長岡の人の魂を学んだ。「映像の背後にどれほどの人の願い、思いが言葉となって秘められているか」を問う「映画」の思いと、この「長岡花火」の願いが僕の中でひとつに結びついた。——「世界中の爆弾を全て、花火に替えたい!」。これは映画の骨格を成す、良き人の言葉である。更にまた、この空の花火に怯える老女の話など、戦争の痛ましさを忘れ得ぬ人間の、純なる心ではあるまいか。そしてこの悲しみを忘れぬ強い願いこそが、全世界の人びとに語りかけていく「物語」の力と美しさではないだろうか。
  2010年になって「長岡花火」を映画にしようという企画が持ち上がった。その際、来年の12月、「長岡市はハワイの真珠湾で追悼の花火を打ち上げようとしている」という話を聞いた。それはかつての日本の「敗戦少年」である僕の魂を激しく揺さぶる「物語」でありました。
  ―1945年以降の日本には「終戦」は有るが「敗戦」(の体験)がない。その「戦争を忘れよう」という姿勢によって、戦後日本の半世紀を超える「平和」が、どこか不安定で真実の姿を見せ得ないという不安要素となっている(どこか実質に欠ける、まるで「イヴェントのような平和」なんですね)。1960年代、「敗戦」の痛みを忘れ、一気に「平和日本」を迎えた日本の青年であった僕など、そのままアメリカに渡り、訪ねる先先で「ゲラウト・ヒア(出てけ)・ジャップ! 俺の倅は真珠湾でお前ら日本野郎に殺されたんだ!」と罵声を浴び、ホテルを追い出された。しかし又アメリカ人の親友も出来、「悪いのは戦争だ。戦争を憎み、人を赦し合うことでしか、平和は生まれない」と語る、片脚をパールハーバーで失った老人とも親しくなりました。「原爆」や「東京大空襲」などと共に「真珠湾を忘れない」ことこそが、この日本の平和を、更には日米両国の友情を築くことだと信じる僕など日本の「敗戦少年」は、故にこの長岡市が願う「真珠湾追悼花火」の実現に、「平和の世」を導くための、一つの「日本の奇蹟」を見る思いなのであります。8月1日の「長岡追悼花火」をプロロオグにして、「真珠湾の追悼花火」をこそエピロオグに、そして「この空」に咲く「花」の祈りの物語を主題に、この映画は「長岡古里映画」、一本の願いのファンタジー、健気な「夢」として完成されるべきでしょう。
  映画を創るには「旬」があります。今こそこの「長岡花火物語」の映画の花をスクリーンたる「この空」に、大きく深く美しく咲かせるべき時ではないか。映画は小説や絵画のような「個人芸術」ではなく、ビル一棟、船一艘建設するが如き大事業であります。この「長岡花火」一本が実現するために、私たち映画製作スタッフも深い情熱を一歩一歩未来へ向かって進めて参ろうと決意して居りますので、古里のみなさま、何卒宜しくお願い申し上げます。

2010年 夏の初め。

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