この空の花 - 「長岡映画」製作委員会 この空の花

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新春トップインタビュー 2012年1月号掲載

2012年新春号トップインタビュー 大林宣彦監督

 映画は、暗闇に咲く花。目を閉じた闇の心の中に願いの灯を余韻する、永遠に。まるでこの空に咲く花火のように。映画「この空の花」の監督・大林宣彦さんにお話を伺った。

■映画「この空の花」の撮影が終わりました。陽射しが痛いロケでしたね。

 今年の夏はねぇ、ほんとうに暑かった。暑さが羊羹になって上から押しつけてくる(笑)。しかも、羊羹には砂利みたいになった層があって、それが背中をごりごりと押しつけてくる。あの左近の土手の撮影は、暑さがフィルムに写っています。影が真っ黒。空が真っ青。以前、摂氏40度になるオーストラリアの真夏で写した画(え)を思い出しました。一生で、こんな地には二度と来ないだろう、と思っていたら、日本(長岡)で体験してしまった(笑)。いや、すごい画が撮れました。撮影中履いていた下駄の鼻緒の跡が、まだ白くくっきり残っているものね(笑)。

■フィルムにあの暑さが写りましたか。

 写るのは暑さだけではありませんよ。僕は撮影中モニターを見ないから、編集の時、初めて見たけれど、写っているものがすごい。あついんだね。温度としての暑さだけではなく、長岡の人たちの熱さなんだね。目を開けたときに写る空気だけでなく、目を閉じた後の思いや願いが写っている。長岡の人たちの思いが写っているから、全カットが重たい。記録のベテラン今村治子さんも言っていたけれど、『これは、私が体験したもので最大級のカット数です』って。通常、カットは800から1000なのだけれど、これは、2000は越えるでしょうね。

■人が作り出す雰囲気も写ってしまうのですね。

 ええ。エキストラとして参加してくださった方々の、あの、雨の中を微動だにもしないでいる姿勢。それを支える思いや祈り。あの熱気が、フィルムに凝縮されています。長岡魂というのかな。

■あの平和の森公園での雨ですね。雨の中、撮影開始を待っている時の。あの時、御神輿の方々が、「ちょっと体を温めたいので、揉ませてください」と言って、「せいやー、せいやー」って御神輿を練り始めたら、270名全員が活気づいて。まるで彼らから「始めましょう!」と監督の背中を押しているようでした。

 そのとおりだね。普通、あれだけの人数が、一旦、待機して、戻ってくるっていうのは大変なんですよ。それが、元の場所に戻るどころか、動かないで待っていらっしゃる。柿川に行くと雨が降るって言うのは、「帰らないで」ということなんだ、と聞いたことがあります。雨の中、あそこにおられたというのは、川からの、あの惨劇が起こった川からの「帰らないで」という声を、皆さんが感じて、皆さんが見ていたからだと思います。

■雨に打たれた監督の姿にも気迫あふれるものがありました。さて、そこでは、豊田一輪車クラブの子どもたちのシーンも撮影されましたが。

 あれは、重要なシーンでした。存在自体もファンタジーですが。もちろん、猪股南さん始め、あの一輪車のチームの見事な技は、人間の技のうつくしさを感じさせてくれますが、映画の中では、単に一輪車ではないんですね。また、普通、一輪車は、安全な所でしか乗られません。ましてや、雨で濡れた板の上なんか、タイヤが滑って危険きわまりない。それを、あの子たちの指導者である木村笑子先生は「やりましょう」と言ってくださった。「もしかすると転んでしまう子が出るかもしれませんが、たとえケガをしたとしても、この柿川を体験したということが、この子たちにとって大切になるでしょうから」とね。素晴らしい指導者ですね。
このように、この映画に参加する人たちの思い、それは、過去の、遥かなる長岡の人たちへの思いや祈りなのでしょうけれど、その思いが、映画に写っています。まことに、とんでもない映画です。

■ドキュメンタリーのようで、そうではない。

 長岡で、ある劇映画を撮影したのではなく、長岡の人が、長岡の人たちの体験や願いを含めて演じることで劇映画になっている。単なるドキュメンタリーではありません。確かに表現は自由ですが、こんな自由があっただろうかと思います。
六十六年前に、日本がアメリカと戦争をした。今は友好国のアメリカが、日本本土に、長岡に、雨のように焼夷弾を落として焼き尽くした。戦争にしても、戦災にしても、今や嘘みたいな話になっている。その嘘が、あの柿川で、嘘でなく本当のこととして蘇ってくる。蘇ってきたときに、ああ、本当にあったことなのだ、と真実(まこと)として認識する。
真実が見える長岡と、日常に紛れて真実が見えなくなった長岡の両方が合体してくる。それが、映画の力ですね。映画は鏡だと言われますが、作る人、見る人の心の底にある思いを、映し出すからですね。

■さらに監督の映像テクニックも随所に見られるわけですね。

 まあ、伊達に年はとっていませんからね。今までの経験や見てきたことなど、これまで蓄積してきたことを映画で披露していますよ。また、僕は、昨年一度アクシデントがあって、死んでいたかもしれなかったわけです。だから、ものを見る目が透明になっていますね。この世に存在していなかったかもしれないと思うと、今ここにいて映画をつくっているということが、奇跡みたいにありがたい。正直な所、映画をつくる以上は、人に褒められたいなんていう邪心を持ちます。それが、すぽっと抜けました。自然につくれている。生きてこの映画を撮れている喜びというのかな。それが、この映画のテーマと結びついていると思いますね。

■大病をなさった後のこのロケはきつくはありませんでしたか。

 却って、去年、一旦死んでいなかったら、もたなかったかもしれません。けれど、再生して蘇りましたからね。とても楽しかったですよ。

■撮影後の長岡の印象は変わりましたか。

 変わりましたよ。先日、出演してくれた和島小学校の生徒たちと話をした帰り、撮影をした島田小学校に行ったら、プールのセットがまだ残っている。あの時は夏だったのに、今はもう雪が降っているなんて思ったら、今度は、ロケ地めぐりをしてみたくなりました。来年の長岡花火には二、三日早く来て、ロケ地を巡ってみようかなと考えています。撮影が終わってしまうと、その場所を違う目で見られます。
撮影するということは、現実の土地の上に映画という虚構を乗せたわけです。そこを再訪すると、今度は虚実が一体化した、違った土地として見えてきます。映画の登場人物が現実にその地にいたようにね。
この映画をご覧になる長岡の方々も、似たような思いをするのではないでしょうか。自分のよく知っている長岡がスクリーンでは虚構のように写ります。スクリーンで見た長岡に納得した後でそこを見ると、確かに、スクリーンに登場してきていた、亡くなった人たちと一緒に生きているように思える。不思議な体験になると思いますよ。

■音楽監督は久石譲さん、編曲は山下康介さん、主題歌「それは遠い夏」は伊勢正三さんが担当されたとか。監督が「命を賭けて撮る」と仰ってくださったから、たくさんの方々が集まってくださったのだと思います。

 譲さんは、ビジネス抜きで「この空の花」というテーマ曲をプレゼントしてくれました。これ、魂に響く凄い曲ですよ。しょーやん(正三)はセンシティブな人だから、余計な雑音をいれたらいけないと思っていたのですが、こないだ、わざわざ電話かけてきて、電話口の向こうで「こんなのはどうですか」なんて、歌ってくれるんですよ。僕も「それはどうかなあ」なんて、かなり失礼な口をきいてしまいましたけれど(笑)。彼にとっても久々の映画の主題歌なので、いいものができると思いますよ。
パスカルズも劇中、クライマックスの曲をプレゼントしてくれましたしね。3・11以来、表現者たちは、想像を超える大災害を前にして、何をどうやって表現したらいいか、表現の行き所を失っていました。そういう人たちが、この映画に参加することで、再生したのだと思いますよ。
この映画が正面に据えているテーマ「平和」に共感したのももちろんですが、長岡の精神に触れたからだと思います。長岡は戊辰戦争後も第二次世界大戦後も中越大地震後も、大切なことをきちんとやって復興してきた。小林虎三郎さんの米百俵の精神が生きてきた。3・11の後も、それが正しかった、正しいやり方だったのだ、とみんなが再確認したのではないでしょうか。日程などでこの映画に参加できなかった人は、みんな悔しがっていますよ(笑)。作り手も貴重な体験をしました。見る人も、きっと不思議な体験をすると思います。

■今後の映画の公開予定は。

 2月24日に東京で映画の制作発表と試写会をやる予定です。何らかの形で、長岡の方々にも早く見ていただけると思います。とにかく、ここで成功させて、四月には全国へ、世界へと。端から端まで、この里の映画が見られるといいですね。文化ってのは、ふるさと自慢だからね。文化の映画になりますよ。

■「この空の花」のテーマ曲で長岡花火を打ち上げたいという話もあがってきています。

 映画を一本つくるのは、その後の展開が出てきますからね。テーマがどんどん広がっていきます。そもそも平和でなくては、映画なんて上映できませんからね。

■監督には尾道三部作がありますが、新潟・長岡三部作を是非作っていただきたい、と期待しています(笑)。この映画で一番注目してもらいたいのは、どんな所でしょうか。

 映画は一つの人格です。まあ、ひとつ子どもが生まれたと思います。子どもですから、どこがいい、とか言えません。「この子に会ってやってください」ということですね。語りかけてくだされば、この子も語りかけるでしょうし。対話相手だと思ってこの子に声をかけてやってください。皆さん、いろいろお考えもおありでしょうが、この子が伝えたいことは、平和や優しさや労りや感謝です。赤ん坊のような映画です。そもそも、戦争があるから、平和という言葉があります。戦争だの平和だの言っても、それは大人の世界のことで、子どもの世界に戦争はないから、敢えて平和とも言いません。存在していること自体が平和です。そういう映画です。

■子どもからお年寄りまでが見られる映画だと仰いましたね。

 未来を生きる子どもらに、過去を知っている大人たちが、一つの願いを伝える映画です。みなさんに、早くみせてあげたいと思っています。

■本当にどうもありがとうございました。

 こちらこそ、本当に、長岡よありがとうです。

 人の思いが、世界的な監督をこの長岡の地に立たせた。けれど、それは、監督ご自身が一番大切なものが見える方だったからだ、とお見受けしました。

(渡辺)